一見奇妙なこのタルムードの諺
「ものを盗らない盗っ人は自分を正直だと思う」
一見奇妙なこのタルムードの諺には、人間が陥りがちな大きな落とし穴についての重要な警告が込められています。
この言葉は表面上、「盗人ではない人々」を指しているかのように見えますが、実はそうではありません。真に戒めたいのは、外見は善良な市民でも、内面に倫理観の欠如や自己正当化の傾向を持つ人々なのです。
つまり、私たち全ては、些細な非行を正当化したり、自分の過ちを認めず小さく見なす「盗人根性」を潜在的に持ち合わせているのかもしれません。社会的に何事もなく生活していても、心の奥底には身勝手な欲望や倫理観の弱さが潜んでいるリスクがあるということです。
そして、そうした人間の危うい一面への自覚を促すのがこの諺なのです。些細な過ちに対して「たいしたことではない」と自己正当化に走れば、やがてそれが大きな倫理的な過ちへと転がり落ちてしまう恐れがあります。
自己正当化がもたらす害悪の例
自己正当化がもたらす害悪は、例えば次のようなものが挙げられます。
夫婦喧嘩
「私が毎晩帰りが遅いのは仕事が忙しいからで、家事が手伝えないのは当たり前」と正当化し続けると、配偶者との溝が深まり、最悪の場合離婚に至ります。
子育ての問題
「少し手がつけられなくても、子どもにはよくあること」と正当化すれば、子どもの非行や問題行動を見過ごし、重大な事態を招きかねません。
健康を損なう
「一杯だけだから大丈夫。酒は百薬の長」「たばこを吸うのは僅かなストレス発散」と正当化を重ねれば、気づいた時には健康を害する生活習慣が身に付いています。
この格言が説くのは
この格言が説くのは、一人一人が内なる「盗人根性」に目を向け、自己正当化の誘惑に決して惑わされることなく、常に謙虚に自省する姿勢を持ち続ける重要性なのです。
単なる善行に惑わされるのではなく、この言葉が人間の深層心理に光を当て、自己正当化への傾向を直視することを求めている点に、改めて気づかされます。
以上のように、この古い格言には、人間の本質を衝く深い教訓が込められており、自己正当化という人間の致命的な落とし穴を指摘し、絶えず己を正すよう説いているのです。
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